大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 平成7年(ネ)1262号 判決 1997年8月29日

控訴人

上雲院

右代表者代表役員

安井隆同

右訴訟代理人弁護士

折田泰宏

島﨑哲朗

牧野聡

新谷正敏

被控訴人

金戒光明寺

右代表者代表役員

坪井俊映

右訴訟代理人弁護士

中坊公平

飯田和宏

谷澤忠彦

長尾博史

藤本清

東岡弘高

主文

一  本件控訴を棄却する(ただし、原判決添付物件目録に「黒谷町一二一番地」とあるのを「黒谷町一二一番」と訂正する。)。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被控訴人は、原判決添付物件目録(ただし、同目録に「黒谷町一二一番地」とあるのを「黒谷町一二一番」と訂正する。)記載の土地(以下「本件境内地」という。)を含む同目録記載の一二一番土地(以下「被控訴人土地」という。)を所有している。

2  控訴人は、本件境内地上に建築資材等(未完成建物)を存置し、本件境内地を占有している。

よって、被控訴人は控訴人に対し、本件境内地の所有権に基づき、右建築資材等(未完成建物)の収去及び本件境内地の明渡しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実は認める。

三  抗弁

1  控訴人の本件境内地の占有、使用の経緯

(一) 控訴人は、寛永一一年(一六三四年)、被控訴人の塔頭寺院として被控訴人土地内に創設され、元治元年(一八六四年)八月二六日ころから本件境内地に移って以来継続して、本件境内地上に本堂等を建築して、本件境内地を占有、使用してきた。

(二) 控訴人は、明治二九年一二月、本件境内地上の本堂等を改修(以下「旧建物」という。)したが、その後、旧建物は老朽化したため取り壊し、平成三年一一月三〇日、新建物の建築をを開始(以下「本件建築工事」という。)した。請求原因2記載の建築資材等は、本件建築工事による建築中の未完成建物である。

2  地上権

(一) 被控訴人土地は、「社寺領現在ノ境内ヲ除クノ外上地被仰出土地ハ府県藩ニ管轄セシムルノ件」(明治四年正月五日太政官布告第四号。以下「社寺領上知令」という。)に基づく処分、あるいは地租改正条例(明治六年七月二八日太政官布告第二七二号)等に基づく事業による官民有区分(以下両者を併せて「上知処分等」という。)の際に国有地となった。

(二) 控訴人の国に対する地上権の取得

(1)ア 占有概念と所有概念が明確に分別されたのは明治時代以降であるから、現実に本堂等を建築して本件境内地を占有、使用していた控訴人は、本件境内地を「所持」していたというべきであり、本件境内地の上知処分等の相手方は控訴人であった。

そうすると、国は、控訴人から本件境内地を上知処分等により取得する代わりに、その時点で、控訴人に対し、本件境内地につき黙示のうちに地上権を設定したというべきである。

イ 仮に、本件境内地の上知処分等の相手方が被控訴人であったとしても、塔頭寺院の境内地の使用権原については、元来法律的に明確ではなかったのであるから、国は、被控訴人から被控訴人土地を上知処分等により取得した時点で、現実に本堂等を建築して本件境内地を占有、使用していた控訴人に対し、黙示のうちに地上権を設定したというべきである。

(2)ア 国は、国有財産法(大正一〇年四月八日法律第四三号。以下「旧国有財産法」という。)に基づき、同法成立のころ、上知処分等により取得した被控訴人土地を無償貸付した。

イ 本件境内地について右無償貸付の相手方は、上知処分等の相手方である控訴人である。

ウ そうでないとしても、本件境内地について右無償貸付は、現実に本堂等を所有して本件境内地を占有、使用していた控訴人を相手方として行われた。

エ 控訴人は、右無償貸付を受けたことにより、国から本件境内地につき地上権の設定を受けたというべきである。

(3) 控訴人は、地上権ニ関スル法律(以下「地上権法」という。同法の施行日は明治三三年四月一六日)一条に基づき、本件境内地につき国に対する地上権者であると推定される。

(三)(1) 被控訴人土地は、昭和二七年二月一九日、「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」(昭和二二年四月一二日法律第五三号。以下「第二次境内地処分法」という。)に基づき、国から被控訴人に対して無償譲与された。

(2) 右により、本件境内地について国の控訴人に対する地上権の負担は被控訴人に承継された。

(3) なお、被控訴人が被控訴人土地の無償譲与を受けることができたのは、無償譲与の手続の便宜上の、控訴人ほか被控訴人の各塔頭寺院の同意書が提出されたことによるものであって、右同意書が提出されなければ、各塔頭寺院の境内地が各塔頭寺院に無償譲与されるべきものであった。したがって、被控訴人土地の無償譲与の相手方が被控訴人であるからといって、本件境内地の上知処分等及び無償貸付の相手方が控訴人でないということはできない。

3  境内地利用権

抗弁1で記載したような本山所有の境内地にある塔頭寺院の境内地の利用関係は、慣習的な特殊な利用関係であり、「境内地利用権」というべきものである。そして、右「境内地利用権」は、塔頭寺院の継承者がいなくなり廃寺として返還する場合を除いては終了しないというべきである。なぜなら、本寺が一方的に右利用権を終了させることができるとすれば、各塔頭寺院には、それぞれ檀家及び墓地があるから、大変な混乱を招くことになるし、また、塔頭寺院は全国に無数にあるが、これら塔頭寺院はすべて極めて不安定な立場に置かれることになるからである。

4  使用借権

控訴人は、被控訴人の塔頭寺院として被控訴人から本件境内地を無償で借り受けた。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)のうち、控訴人が被控訴人の塔頭寺院であることは認めるが、その余の事実は不知。(二)のうち、控訴人が本件境内地上の旧建物を取り壊して本件建築工事を開始したこと、請求原因2記載の建築資材等が本件建築工事により建築中の未完成建物であることは認め、その余の事実は不知。

2  同2について

(一) (一)は認める。

(二) (二)(1)のア、イは否認する。(2)のアは認め、イないしエは否認する。(3)は争う。

(三) (三)の(1)は認め、(2)、(3)は否認する。

3  同3は争う。

4  同4は争う。

五  再抗弁

1  抗弁2(二)(3)(推定地上権)に対して

(一) 推定否定事由(使用貸借)

地上権法施行日前の控訴人の本件境内地の使用権原は使用貸借である。

(二) 対抗要件の不具備(地上権法二条)

控訴人は、地上権法一条による本件境内地の地上権の設定登記を地上権法施行の日から一年以内にしていない。

2  抗弁2(二)(1)、(2)(地上権の取得)に対して(対抗要件の不具備)

控訴人は、本件境内地の地上権の対抗要件を具備するまで地上権の取得をもって被控訴人に対抗できない。

3  抗弁2及び4(地上権・使用借権)に対して(契約解除)

本件境内地を含む被控訴人土地の使用については、金戒光明寺境内地使用規程(以下「本件使用規程」という。)が定められており、その二条には「……境内地内の建物を新築著るしき改築、増築、若しくは除却せんとする時は土地所有者の金戒光明寺の許可を得なければならない。」と定められている。被控訴人は、控訴人から本件境内地の建物新築の申請があったため、これについて真摯に対応していたが、控訴人は、被控訴人の許可を得ることなく本件建築工事に取りかかったため、被控訴人は控訴人に対し、本件建築工事の続行中止及び本件境内地の執行官保管等を求める仮処分の申立てを行い、平成三年一二月一一日の審尋期日において、本件建築工事の開始が本件使用規程に違反するものであるとして、控訴人との本件境内地の使用契約を解除する旨の意思表示をした。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1(一)は否認する。(二)は認めるが、被控訴人は登記の対抗関係にある第三者ではない。

2  同2は争う。被控訴人は登記の対抗関係にある第三者ではない。

3  同3のうち、被控訴人が解除の意思表示をしたことは認め、その余は否認ないし争う。

七  再々抗弁

1  再抗弁2(地上権の対抗要件の不具備)に対して

控訴人は、昭和二四年一二月二一日、本件境内地上に所有していた建物に保存登記を経由した(建物保護ニ関スル法律一条)。

2  再抗弁3に対して(権利の濫用)

(一) 抗弁1で主張したとおり、被控訴人・控訴人間において本山・塔頭寺院として寛永一一年以来本件境内地が長年の使用関係にあり、抗弁3で主張した「境内地利用権」が認められないとしても、本件境内地の使用形態は特殊なものであり、原則的には永代使用が認められるべきものであること及び次に主張する本件建築工事をめぐる長期間の交渉過程を総合すれば、被控訴人の本件境内地の地上権又は使用貸借の解除に基づく本件境内地の明渡請求は権利の濫用である。

(二) 本件建築工事をめぐる長期間の交渉過程

(1) 控訴人(当時の代表者浅野霊修こと浅野修)は、昭和四〇年九月、荒廃していた旧建物の建替えを計画したが、資金が集まらなかったため、やむなく休寺を届け出た。

(2) 控訴人は、昭和五七年六月、控訴人再建の資金の見通しがついたため、被控訴人に旧建物の建替えの申請を出し、昭和五九年二月、内容証明郵便で控訴人の再築を申し出、さらに同年一一月、被控訴人法主及び浄土宗宗務に請願書を送付したが、いずれも応答がなかったため、昭和六一年一月、被控訴人に対し、再築の同意を求める調停を京都簡易裁判所に申し立てた。しかし、右調停には弁護士や不動産業者が出席するばかりであったため、昭和六三年九月、右調停を取り下げ、同年一〇月から月沢教区長が立ち会って話合いが実現したものの、平成元年四月、右話合いも決裂した。

(3) 平成二年九月ころ、現控訴人代表者安井隆同(以下「安井」という。)が控訴人の事情を聞いて控訴人の副住職となり、控訴人の再建に尽力することになった。その後、安井は、被控訴人の執事長に面談したが、執事長は控訴人の復興計画について協力的であったため、旧建物の再築について準備を整え、平成三年八月一日、控訴人は、京都市風致地区条例の審査を経て被控訴人に再築の同意申請書類を執事長に提出した。しかし、執事長は「浅野が住職である限り同意しない。安井が住職になれば全面的に協力する。」と言ったため、同年九月一日、安井が控訴人の住職に就任し、就任について宗務庁での認証、法人登記を経て、改めて控訴人は、同年一〇月四日、旧建物の除却及び新築同意申請を被控訴人に提出した。これに対して執事長は、同月一四日、除却の同意書のみを交付し、新築同意は後で出すと言ったので、控訴人は、同月一八日から旧建物の除却工事に着手し、整地をしながら同意を求めたが応答がなく、一方、上棟の予定が迫っており建築資材も出来上がっていたことから、同月三〇日、基礎工事に取りかかったところ、同年一一月一日、執事長らが工事の中止を申し入れてきた。その際、執事長は「今工事を中止すれば、一日も早く同意するようにする。」と約束したので、控訴人は工事を中止したが、同月二三日になっても同意書が届かず、執事長は控訴人の人事に介入する条件を提示してきたので、控訴人は譲歩案を提示したところ、執事長は同月二八日にも必ず同意書に調印すると約束した。ところが、同日、安井が被控訴人を訪ねたところ、被控訴人から今日は同意できないと言われたため、これ以上話合いは不可能であると判断し、同月三〇日、本件建築工事に着手したのである。

八  再々抗弁に対する認否

1  再々抗弁事実1は不知。建物の保存登記によっては本件境内地の地上権についての対抗要件を具備するものではない。

2  同2は争う。本件建築工事に至る経緯をいくら主張したところで、控訴人が被控訴人から承諾を得ることなく本件建築工事の強行という実力行為を行ったことは動かない事実であり、このような行為を理由として行われた解除が権利の濫用とされる余地はない。

第三  証拠

原当審記録の証拠関係目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因事実は当事者間に争いがない。

二  抗弁1ないし4について判断する。

1  次の事実は当事者間に争いがない。

(一)  控訴人が被控訴人の塔頭寺院であること、控訴人が本件境内地上の旧建物を取り壊して、本件建築工事を開始したこと、請求原因2の建築資材等が本件建築工事により建築中の未完成建物であること。

(二)  被控訴人土地は、明治の初めころ上知処分等により国有地となり、大正一〇年ころ旧国有財産法に基づき、国から無償貸付され、昭和二七年二月一九日、第二次境内地処分法に基づき、国から被控訴人に無償譲与されたこと。

2  上知処分等に至るまでの被控訴人土地及び本件境内地に関する被控訴人と控訴人との従前の経緯

次のとおり訂正するほか、原判決四二頁八行目から五一頁一行目までに記載のとおり(ただし、各項目の「イ」ないし「ワ」を「(一)ないし(一三)」と改める。)であるから、これを引用する。

原判決四二頁末行から四三頁一行目の「法然上人」を「浄土宗の開祖である法然上人」と、同四三頁五行目の「道場となり」を「道場となり(ただし、被控訴人が被控訴人土地をいかなる権利に基づき占有、使用されていたのかを認めるに足りる証拠はない。)」と、同八、九行目の「争いがない」を「甲一の1、2、乙四、弁論の全趣旨」と、同四五頁一〇行目の「ある(争いがない)。」を「創設されていたが、」と、同末行の「一六四四年」を「一六三四年」と、同行の「後」を「後ろ」と、同四六頁一、二行目の「本件境内地を占有、使用してきた」を「被控訴人土地内に寺院を建築した」と、同二行目の「乙五」を「乙四、五」と、同七行目の「争いがない」を「甲二、乙四、七、八、弁論の全趣旨」と、同四九頁五、六行目の「争いがない」を「原審証人戸川、弁論の全趣旨」と、同九、一〇行目の「原告土地内の北門の墓所のねきから(甲一二)、大殿の横に移り(甲一三)、」を「その創設当時は被控訴人土地内の観壽院の後ろの大殿の横にあったが(甲一三、弁論の全趣旨)、寛成元年(一七八九年)までに被控訴人土地内の北門の墓所のねきに移り(甲一二、弁論の全趣旨)、その後同所が会津藩の屯所として利用されたため観壽院に疎開したが、一八六四年(元治元年)八月二六日、観壽院が出火により消失したため、そのころ超勝院と合併して」と、同末行の「乙一一」を「乙四、一一」と、同行の「ヘと三回ほど」を「ヘ」と改める。

3  上知処分等以降の被控訴人土地に関する法律関係

次のとおり訂正するほか、原判決二九頁一行目の「証拠」から三六頁五行目までに記載のとおり(ただし、各項目の「イ」ないし「ル」を「(一)ないし(一一)」と改める。)であるから、これを引用する。

原判決二九頁八行目の「(三〇頁)、争いがない事実」を「(三〇頁)」と、同三二頁八行目の「一二八頁)、争いがない事実」を「一二八頁」と、三三頁六行目の「(乙一六、争いがない事実)。」を「(乙一六)。また、右宗教団体法制定に伴い、昭和一七、一八年ころには、一宗本山の確立、本末解体が実現し、末寺はすべて浄土宗という一宗の末寺となり、控訴人ら各塔頭寺院も宗教法人として独立した(乙三、原審証人戸川、同浦田)。」と、同三四頁二、三行目の「乙一六、争いがない事実」を「乙一六」と、同九行目の「昭和二三年三月二五日」を「ところで、被控訴人は、昭和二一年一〇月一四日、いくつかの塔頭寺院とともに浄土宗から分派独立し、被控訴人を本山とする黒谷浄土宗を創建したため、右時点以降、被控訴人土地内の各塔頭寺院は、被控訴人と包括、被包括の関係に立つ寺院(直轄寺院)と控訴人のように浄土宗と包括、被包括の関係に立つ寺院とに分れるようになっていた(乙三、原審証人浦田)が、昭和二三年三月二五日」と、同三五頁五行目の「しかし」を「しかし、後記(一〇)の和解成立により被控訴人が浄土宗に復帰したため」と、同六行目の「同意した」を「同意する旨の同意書を提出した」と改める。

4  以上認定の事実に基づき、控訴人の本件境内地の占有、使用権限について検討する。

(一)  上知処分等に至るまでの使用権限

右2で認定したとおり、控訴人は、その創設時において被控訴人の塔頭寺院であったところ、塔頭寺院は、本山の法要のための「役宅」に起源を有し、一般的には本山に隷属するものであったこと、控訴人を含む各塔頭寺院は、被控訴人の意向に従って被控訴人土地内の場所を移動し、使用を許される被控訴人土地内の境内地の範囲、面積等は明確に決められていなかったこと、江戸時代においては、永小作権のように自由譲渡性を有する物権的権利が認められていたが、寺院であった被控訴人は控訴人土地を他人に自由に譲渡することは認められておらず、控訴人が創設された時ないし本件境内地に移った時に本件境内地を控訴人に譲渡したとは到底考えられない(その旨の主張もない。)上、控訴人も本件境内地の利用権を独自に他に譲渡ないし貸借することが認められていたとは到底考えられないこと、江戸時代の寺社境内地には、寺社が他の寺社から境内地を借りて使用する「借地」があったが、「借地」においては、地主に地代を支払うのが通常であったのに、控訴人は被控訴人に本件境内地の地代を一切支払っていないことの事実を総合すると、上知処分等により被控訴人土地が国有地となるまでの控訴人の本件境内地の占有、使用は、被控訴人が控訴人に対し、本山、塔頭寺院という宗教上の特殊な関係から、情宜上、これを容認していたにすぎないものであって、控訴人の本件境内地の使用権限は、被控訴人との間の使用貸借であったと認めるのが相当であり、控訴人が本件境内地を単に占有、使用することのみによって本件境内地の所有権を有していたとか、本件境内地につき地上権等の物権的権利を有していたということはできない。

(二)  上知処分等、旧国有財産法に基づく無償貸付、第二次境内地処分法に基づく無償譲与との関係について

(1) 右3で認定した事実によれば、第二次境内地処分法は、上知処分等により国有となった無償貸付中の国有財産につき、社寺等がそれ以前において有していた権利が上知処分等がなかったとすれば民法の施行に伴い民法施行法三六条により所有権の効力を有するに至る実質を有していたことを前提として制定されたものであり、同法にいう「譲与」は、実質的、内容的にみて旧所有権の返還の処置たる性格を備えているものと解するのが相当である(最高裁判所昭和四九年四月九日判決・判例時報七四〇号四二頁)。そうすると、上知処分等、旧国有財産法に基づく無償貸付、第二次境内地処分法に基づく無償譲与の各相手方は、すべて同一人であることが前提とされていると解されるところ、第二次境内地処分法に基づく無償譲与を受けたのが被控訴人であるから、上知処分等、旧国有財産法に基づく無償貸付の各相手方も被控訴人であるというべきである。

(2) 控訴人は、被控訴人が一括して被控訴人土地の無償譲与を受けることができたのは、無償譲与の手続の便宜上、控訴人ほか被控訴人の各塔頭寺院の同意書が提出されたことによるものであって、本来は各塔頭寺院がその境内地の無償譲与を受けるべきものであったと主張する(抗弁2(三)(3))ので判断する。

右のとおり、第二次境内地処分法に基づく無償譲与は、所有権の返還の処置たる性格を備えていると解されるところ、前記のとおり、控訴人が本件境内地の占有、使用を開始した当時、本件境内地の所有権を取得したとは認められないこと、第二次境内地処分法の運用指針(乙一六)によれば、譲与又は半額売払の相手方として、「二つ以上の社寺等が共同名義で国有境内地の無償貸付の相手方となっている場合は……当該社寺等から連名で申請をなさしむること」と規定しているが、控訴人ら被控訴人の各塔頭寺院は右譲与の申請自体を行っておらず、前記のとおり、分派独立した被控訴人に対応して分割譲渡の陳情書を提出したにとどまっていること、これに対して現に知恩寺の場合においては分割譲与がなされていること(乙一三)からすれば、控訴人が本来本件境内地の無償譲与を受けるべき相手方の実質を備えていたとは到底認めることはできず(乙七、一一、四五号証も右判断を左右するに足りない。)、控訴人主張の同意書は、控訴人らが右陳情書を提出していた関係で(被控訴人が浄土宗に復帰したことを受けて)提出されたものにすぎないというべきである。よって、控訴人の右主張は理由がない。

(三)  上知処分等以降の被控訴人土地及び本件境内地の使用関係

右(一)、(二)で検討した結果によれば、上知処分等により被控訴人土地が国有地となった際、国は被控訴人土地の従前の占有、使用関係をそのまま容認し(その法律関係は、旧国有財産法によって法律的に整備されたとおり被控訴人に対する無償貸付(使用貸借)であったと解される。)、控訴人も、従前被控訴人に対して有していた使用貸借の権原により本件境内地を占有、使用していたというべきであり(その実質は被控訴人からの転貸借であると解される。)、現実に控訴人が本件境内地を占有、使用していたからといって、被控訴人を差し置き控訴人が国から直接黙示的に従前の権利より強固な地上権を取得したと認めることはできず、旧国有財産法に基づく被控訴人土地の無償貸付の際についても右同様であったというべきである。乙四四号証も右判断を左右するに足りるものではない。

よって、抗弁2の(1)、(2)はいずれも理由がなく、同(3)については再抗弁1(一)が理由があるので、結局、抗弁2(占有権原としての地上権)は理由がない。

(四)  抗弁3(境内地利用権)について

控訴人は、「境内地利用権」になる権利を創設し、その成立要件として、本山所有の境内地にある塔頭寺院がその敷地を使用していること、その法律効果として、右使用権は、塔頭寺院の継承者がいなくなり、廃寺となるまで存続すると主張するが、寺院の敷地利用権として地上権や賃貸借、使用貸借等の民法上の権利のほかに、右のような権利を創設すべき論拠の論証は未だ不十分であり(控訴人主張の檀家や墓地の問題と寺院の敷地利用権とは直接の関係はない。)、独自の主張であって失当というほかない。

(五)  抗弁4(使用貸借)について

右に検討した結果によれば、控訴人は、本件境内地に塔頭寺院として移った一八六四年ころから、被控訴人から本件境内地を無償で借り受けているということができ、抗弁4は理由がある。

三  再抗弁3(使用貸借契約の解除)及び再々抗弁2(解除及び明渡請求の権利の濫用)について判断する。

1  本件建築工事を巡る紛争経緯

次のとおり訂正するほか、原判決五頁三行目から一一頁三行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。

原判決五頁三行目の「昭和二七年頃」から同五行目の「なっていた。」までを「浅野霊修(浅野修)は、昭和二二年三月、兄の浅野霊定の死亡に伴い控訴人の住職となり、昭和二七年四月、同じ被控訴人の塔頭寺院である金光院の住職であった父の浅野霊玉の死亡に伴い金光院の住職も兼ねることになったが、既に医師の道を志していたため法要を行う能力はなく、住職とは形だけで、法類の者が檀家の法要を執り行っていたところ、控訴人は、次第に宗教法人としての活動を行わなくなり、昭和三六年ころからは旧建物に誰も居住しなくなっていた。」と、同七行目の「旧建物」を「既に荒廃していた旧建物」と、同八行目の「あったため」を「あったため、浅野霊修が自己の費用で石垣の補修を行ったものの」と、同九、一〇行目の「乙二五ないし二七、争いがない事実」を「乙二四ないし二七、三三、当審証人浅野」と、同六頁七、八行目の「争いがない事実」を「三三、当審証人浅野」と、同九、一〇行目の「金戒光明寺境内地使用規程(以下「本件使用規程」という。)」を「本件使用規程」と改める。

同七頁五行目の「平成三年九月初め頃、安井が」を「安井は、被控訴人方に浄土宗の講師に来ていた平成二年六月ころ、控訴人の荒廃した旧建物を見てその復興をすべく浅野霊修を訪ねたところ、同人から過去の経緯を聞かされ控訴人の復興を依頼された上、同年九月二一日、控訴人の副住職就任の申請をし、同年一〇月頃、被控訴人の執事長澤崎に控訴人の復興の話を持ちかけた。平成三年三月、被控訴人の執事長は家田に交替したが、安井は、家田にも右同様の話をし、新建物の建築準備を整えていたところ、同年八月下旬ないし同年九月初め頃」と、同八行目の「安井は」を「安井は、同月一九日、旧建物の除却と新築同意申請書を持参し」と、同末行から同八頁一行目の「信徒総代会、協議会に諮ったうえで」を「常置委員会における決定、総代の同意を経た上で」と、同八頁四行目の「登記簿を」を「登記簿及び正式な旧建物の除却と新築同意申請書を、同月八日、本堂を必ず再建する旨の念書を」と、同五行目の「争いがない」を「甲三の1、2、五、七、八、一八、一九の1ないし3、乙三二、三七、三八、四〇、当審証人家田、当審における控訴人代表者」と改める。

同八頁六行目の「安井は」を「安井は、同月一一日」と、同九行目の「安井の」を「同月一四日、安井の」と、同一〇行目の「許可した」を「許可した(その際、執事長が安井に建物新築の同意を約束したとの当審における控訴人代表者の供述はこれに反する当審証人家田の証言に照らして措信できない。)」と、同九頁三、四行目の「争いがない」を「乙三二、四一、四三、当審証人家田、当審における控訴人代表者」と、同六、七行目の「あったため」を「あったため(その際、執事長が今工事を中止すれば一日も早く建物新築の同意をすると約束した旨の当審における控訴人代表者の供述はこれに反する当審証人家田の証言に照らして措信できない。)」と、同七行目の「争いがない」を「乙三二、当審証人家田、当審における控訴人代表者」と、同末行の「争いがない」を「乙三二、当審証人家田、当審における控訴人代表者」と改める。

同一〇頁四行目の「争いがない」を「甲二二、二三、乙三二、当審証人家田、当審における控訴人代表者」と、同五行目の「構造である」を「構造であり、本堂ではなく庫裡(住職の居住空間)である」と、同行の「乙二八」を「一一、一八、一九の1ないし3、乙二八、三五ないし四〇、当審証人家田」と、同一〇行目の「意思表示」を「意思表示(解除の意思表示があったことは当事者間に争いがない。)」と、同一一頁三行目の「争いがない事実」を「一一、検乙一ないし七」と改める。

2  使用貸借の解除事由の有無について

土地の使用貸借契約において、借主が貸主の許可を得ることなく当該土地上に存する建物を建て替えることは(控訴人の本件建築工事につき被控訴人の許可を要する旨の本件使用規程を待つまでもなく)、それだけで契約又はその目的物の性質によって定まった用法に違反(民法五九四条一項)すると解されるところ、右1の事実によれば、控訴人は、旧建物と異なる種類、構造の建物の本件建築工事を被控訴人の許可を得ることなく強行したものであり、これが使用貸借契約の解除事由にあたることは明らかである。

3  権利の濫用について

控訴人(代表者浅野霊修当時)の当初の再建申請については、浅野霊修が医師であって、法要を行う意思も能力もなく、檀家の法要を法類に任せきりであった上、遂には控訴人を休寺にし、旧建物を荒廃したまま放置してきたものであるから、被控訴人がその申請(申請当時も浅野霊修に壇家の法要を行う意思や能力があったとは認められない。)について難色を示し、その交渉過程において再建に同意しなかったとしても、これをもって不当な同意拒否であるということはできない。

控訴人の代表者は、平成三年一〇月二日、正式に安井に変更され、控訴人再建について前記問題は解決したものの、被控訴人は、控訴人の申請を本件使用規程及び寺院規則に則り常置委員会の決定及び総代の同意を得た上で責任役員会に提案してこれを決しなければならなかったところ、同日、正式に申請された再築の予定建物が旧建物とは異なり二階建であり、また、本堂ではなく庫裏であったこと、安井の資金計画も不明であったことから、右の点について明確な回答を安井に求め、その上で所定の手続を踏む必要があった。しかし、安井は、被控訴人から旧建物の除却許可を得て旧建物を取り壊し、その後資金計画の資料等を執事長に提出するや否や被控訴人の反対の意向にもかかわらず本件境内地内で基礎コンクリート工事を開始し、同年一一月九日、一旦、同工事を中止したものの、同月二八日の話合いが不調に終わるや再び本件建築工事を強行したものであって、これら安井のとった行為は、正式申請から(申請書が一応提出された同年九月一九日からみても)わずか一か月ないし二か月後のことであり、被控訴人の手続的制約(因みに、控訴人が長らく休寺の状態であって無責任にも旧建物が荒廃のまま放置されていたことや安井が従来の被控訴人の塔頭寺院の出身でないことからすれば、執事長が責任役員会で最終的に控訴人の申請が可決されるようにすべく、より慎重な対応をしたとしてもあながち不当であるとはいえない。)を無視した自力救済の強行手段というほかない。

このような控訴人の行為は、被控訴人との信頼関係を著しく破壊するものであって、江戸時代から長らく続いてきた本件境内地の使用貸借の経緯を考慮したとしても(なお、被控訴人の他の塔頭寺院において従前建替えや増築が許可されていたとしても)、被控訴人の本件境内地の使用貸借契約の解除の意思表示ないし本件境内地の明渡請求が権利の濫用であるということはできない。

4  以上のとおり、再抗弁3は理由があり、再々抗弁2は理由がない。

四  よって、被控訴人の本訴請求は理由があるから認容すべきところ、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がない。

(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 糟谷邦彦 裁判官 塚本伊平)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例